978-4-8451-1680-5
私が原発を止めた理由
![]() |
||
![]() |
||
¥1,430
![]() |
||
|
||
お問合せ・ご注文 口コミを見る(0) |
【内容】 原発の耐震性は一般住宅より低いという衝撃の事実!「原発敷地に限っては強い地震は来ない」という地震予知に依拠した原発推進。あなたの理性と良識はこれを許せますか? |
【目次】 はじめに 第1章 なぜ原発を止めなければならないのか 1 危険とは何か 2 福島原発事故とは (1)福島原発事故の概要 (2)原発の仕組み (3)安全三原則 3 被害の大きさにおける危険 (1)福島原発事故の被害 (2)2号機の奇跡 (3)4号機の奇跡 (4)免震重要棟の存在 (5)その他の奇跡 (6)原発事故の被害の大きさにおける真の危険性 4 事故発生確率における危険 (1)被害の大きさと事故発生確率は反比例する (2)過去の地震のデータ (3)原発の危険はパーフェクトの危険 第2章 原発推進派の弁明 1 住宅とは比較できない―1番目の弁明 2 原発の耐震設計は地表を基準としていない―2番目の弁明 3 強震動予測―3番目の弁明 (1)問題の所在 (2)強震動予測の信頼性 (3)3.11前の私と訴訟担当後の私 (4)なぜ多くの裁判長は差し止めを認めないのか (5)まとめと新たな問題提起―地震動予測の問題点 4 電力不足とCO2削減―4番目の弁明 (1)電力供給について (2)脱炭素について (3)化石燃料費について 5 原発を止める当たり前すぎる理由 6 放射能安全神話―原発推進派の最後の弁明 (1)新たな神話の登場 (2)一ミリシーベルトの意味 (3)黒い雨判決で明らかになったこと 第3章 責任について 1 3.11後の私たちの責任が重い理由 2 司法の責任 (1)問題はどこにあるのか (2)これまでの訴訟と新たな訴訟のありかた (3)裁判官の姿勢 3 私たちの責任 あとがき 福井地裁大飯原発運転差止め訴訟判決要旨 |
◆「はじめに」より 2011年3月11日福島第一原子力発電所で過酷事故が起きました。その時、福島第一原子力発電所で実際に何が起きていたのかをほとんどの人は知りません。時の経過とともに福島原発事故の深刻さが人々の意識の中から薄れていっているように思えます。福島原発事故から10年が経過しようとしていますが、あの事故から私たちは何を学ばなければならないのでしょうか。そのことを問い直したいのです。 原発の問題は福島原発事故の前も現在も我が国の最重要課題であり続けています。しかし、多くの人は、「あれだけの事故があったのだからきちんとした地震対策がとられているはずだ」、「多くの裁判所が再稼働を認めているのは裁判所も安全だと判断したからだ」とか、あるいは、「あんな嫌なことはもう起こらないはずだ」と漠然と思っています。 我が国の国策は安全な原発は積極的に動かすということであり、言い換えると危険な原発は動かさないということです。この国策に賛成の人にも反対の人にも、もしくは、現在の原発はそれなりに安全だと思っている人にも、原発の問題はイデオロギーの問題だと思っている人にも、保守の人にも革新の人にも、脱炭素社会の実現が重要課題だと思っている人にもそうでない人にも、等しく、原発の本当の危険性を知ってもらうのがこの本の目的です。 この本には原発の運転が許されない理由が書いてあります。 その理由は、以下のとおり、極めてシンプルなものです。 第1 原発事故のもたらす被害は極めて甚大。 第2 それゆえに原発には高度の安全性が求められる。 第3 地震大国日本において原発に高度の安全性があるということは、原発に高度の耐震性があるということに他な らない。 第4 我が国の原発の耐震性は極めて低い。 第5 よって、原発の運転は許されない。 この理屈は誰にでも理解できるはずですし、福島原発事故の教訓を踏まえれば、誰もが納得せざるを得ないはずなのです。法律家を含む多くの人が、原発が危険かどうかを判断するためには、原発についての詳しい知識と地震学の知見が必要だと思い込んでいます。だから、原発推進派だけではなく、原発に対して中立的な人々あるいは中立的でありたいと思っている人々からも、「専門知識のない素人の裁判官に何が分かるものか」とか、「脱原発をとなえている人々もしょせん素人だ」という批判がなされるのです。 しかし、私が原発の運転差止め訴訟を通して分かったことは、原発の運転が許されない理由は極めてシンプルで当たり前のものだということです。高度の専門知識を用い、深遠な議論の末に原発の運転が許されないという結論が導かれるのではないのです。もし仮に、原発の問題がそのような議論の末に運転が許されないという結論が得られるような問題なら、あるいは専門家でなければ解けないような問題なら、素人の元裁判官である私がこの本を書こうとは思わなかったと思います。 裁判官が退官後とはいえ、自分が関わった事件について、論評することはほとんどと言ってよいほどありません。論評することが法に触れるわけではありませんが、論評しないことは裁判所の伝統であることは間違いないのです。なぜ、私がその伝統を破ってまで、原発の話をしなければならないと思ったのか。それは、専門家でもない私の目から見ても、原発の危険性があまりにも明らかだったからです。そして、原発の危険性が専門知識のない素人目にも明らかだということくらい恐ろしいことはないのです。 原発や地震学についての詳しい知識は要りません。思い込みを持たずにものごとを素直に捉える目を持った高校生以上の方が、この本を読んでいただければ原発の危険性がどれくらい大きなものかお分かりになると思います。そして、その原発を止めるために何をしたらよいのかについて考えていきたいと思います。 |