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978-4-8451-1689-8 「平成」の天皇と現代史 | ||
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【内容】 平成の天皇とは何であったのか? 右派・伝統派が批判し、「リベラル」派が礼賛した「旅」と「おことば」は憲法に定める「象徴としての務め」だったのか? 憲法遵守を謳って即位した天皇が、いかにして憲法から「離脱」したのかを明らかにする! 新天皇への代替わりをめぐる天皇論議には、これまでみられなかった議論のねじれが起こった。「右派」、「伝統派」が厳しい天皇批判を展開し、逆に、天皇・天皇制に厳しく警戒的であった穏健保守派、「リベラル」派の「平成」礼賛の大合唱という、まことに薄気味の悪い事態が出現したのである。 そもそも、平成の天皇・天皇制とはなんであったのか? 冷戦後の日本政治をめぐる対抗と天皇の関係に焦点をあててこの三〇年をふり返り、一体、そこで何が起こったのかを探る。この検討を通して天皇の憲法からの逸脱に歯止めをかけ、憲法の構想する天皇・天皇制に近づけていくには何が必要か、天皇制度のあるべき将来についても展望することが可能となる。 |
【目次】 はじめに 第1章 「平成」前期の政治と天皇 1 冷戦後の政治の大変貌と天皇の新たな利用 2 天皇の役割をめぐる新たな対抗の台頭―右派の新天皇への懐疑と批判 3 第一ラウンド「日韓『おことば』摩擦」をめぐる政治と天皇 ⑴ 盧泰愚大統領訪日と天皇の「おことば」事件の経緯 ⑵ 「おことば」をめぐる政治と天皇の対抗関係の変化 ⑶ 「天皇自身が望んでいる」 ⑷ 天皇「おことば」への原則的反対論 4 天皇訪中をめぐる支配層内の対抗と天皇 ⑴ 天皇訪中をめぐる中国、日本の思惑 ⑵ 天皇訪中をめぐる攻防 ⑶ 天皇訪中問題に現れた、政治と天皇 ⑷ 天皇訪中問題のもたらしたもの ⑸ 「謝罪の特使」政策の過渡的性格 5 「皇后バッシング」という形での右派の天皇・皇室批判とその終熄 ⑴ 皇室批判の噴出とその終熄の経緯 ⑵ 「皇室バッシング」の意義 第2章 「平成流」の確立と憲法からの離陸 1 九〇年代中葉以降の政治の激動と、政治と天皇制との距離 ⑴ 政治の要請、関心の減少 ⑵ 政治の変貌が天皇に与えた結果 2 「平成流」の確立 ⑴ 「平成流」形成への意欲とモデル ⑵ 国内―全地域訪問 ⑶ 被災地訪問、障害者、高齢者、弱者へのこだわり ⑷ 環境への関心 ⑸ 戦争、平和、沖縄へのこだわり ⑹ 「平成流」の憲法上の問題点 3 天皇明仁の「象徴」「憲法」「戦争・平和」観の構造 ⑴ 明仁の「象徴」観―伝統と憲法の二本だて ⑵ 明仁の「憲法」巻―憲法からの離陸 ⑶ 「伝統」への回帰 ⑷ 「戦争」と「平和」についての明仁的理解 ⑸ 明仁の「象徴」観、「憲法」観、「戦争」観を助けた要因 4 皇位継承問題への執着―皇太子批判から女系天皇、女性宮家構想まで ⑴ 皇位継承問題の台頭 ⑵ 雅子問題と天皇の怒り ⑶ 女性・女系をめぐる対抗 ⑷ 小泉有識者会議をめぐる攻防 ⑸ 右派と明仁天皇 ⑹ 皇統問題の「終熄」と天皇明仁の煩悶 5 保守政治と天皇の緊張関係 ⑴ 小泉政権と天皇・靖国 ⑵ 第一次安倍政権と天皇 ⑶ 民主党鳩山政権と天皇 ⑷ 野田政権の「女性宮家」構想 第3章 「復活」安倍政権下、保守政権と天皇の緊張と対立 1 第二次安倍政権の政治的ねらいと天皇 ⑴ 第二次安倍政権のめざすもの―大国の復権 ⑵ 第二次安倍政権の天皇政策 ⑶ 天皇の安倍政権への二重の不信 2 第二次安倍政権下での保守政治と天皇の緊張の激化 ⑴ 「大戦」と戦争の記憶へのこだわりと緊張 ⑵ 皇室の将来への不安と焦り ⑶ 天皇の動向に対する右派、「リベラル」派の賛否の議論 3 退位問題をめぐる攻防 ⑴ 明仁天皇、「退位」のねらい ⑵ 退位をめぐる攻防 ⑶ 右派の明仁批判と「明仁」派の形成―天皇論議のねじれ 小括 「平成流」の遣産 1 徳仁天皇へ 2 「平成流」の遺産 3 象徴天皇制の将来へ向けての二つの課題 あとがき |
【はじめに】 二〇一九年四月末に天皇明仁が退位し、翌日、徳仁が新天皇に即位した。二〇一六年八月の明仁による「退位」表明の「おことば」以来、この即位をはさんで、秋の即位礼正殿の儀、大嘗祭に至る数年間、天皇と象徴をめぐる議論が「活発」化し平成の天皇への礼賛の嵐が巻き起こった。 この数年間の事態は、一九八九年の昭和天皇の死去と新天皇への代替わりに際しての事態とは著しく異なる相貌をみせている。いずれの時にもマスメディアを先頭に、天皇礼賛が吹き荒れたことには変わりがなかった。 ちがったのは、そうした天皇代替わりに際しての天皇・天皇制に対する批判的言説の存在の大きさである。八九年の代替わりに際しては昭和天皇礼賛に対し、昭和天皇の戦争責任を問う声をはじめメディアにおいて、相当の批判が展開された。「自粛」キャンペーンが吹き荒れるなか、戦前の「暗黒時代」への復古の危惧も論じられた。また、そうした昭和天皇批判に反発して、右翼の暴力も頻発した。 ところが、今回の代替わりに際しては、「平成流」に対する礼賛の氾濫に比して、「平成流」や天皇制そのものに対する批判は極めて少なかった。 その結果、右翼の暴力もなりを潜めた。右翼が「危機」と感じるような事態がなくなったからだ。 天皇・天皇制批判が減少したのは、昭和天皇の時代に比して「平成」の時代になって天皇の政治への影響力が減ったからなのか、憲法が禁ずる天皇の行為、保守政治による天皇利用が減り、より憲法に沿った運用がなされるようになったからであろうか? そんなことはなかった、と筆者は考える。 確かに、一九八九年当時、批判派の一部が危惧したような、日本の戦前への復古主義に天皇が利用されるようなことは起こらなかったし、「平成」の天皇はことあるごとに「平和」を口にした。だから天皇・天皇制への批判が減るのも当然だと考える向きもあろう。 けれども、憲法のめざす天皇像への接近という点では、この三〇年の動向はむしろ逆であった。戦後日本国憲法下に限ってみれば、昭和天皇と天皇明仁の時代を比べると、明仁天皇の時代の方がはるかに憲法の求める天皇像からの逸脱が激しくなっている。本人たちが「旅」と自称する、憲法が認めていない外国訪問については、昭和天皇の二回に比べて、平成の天皇は即位後だけでも延べ四一回に上り、同じく国内での行幸・啓も著増している。政治的性格の濃厚な、つまり憲法が禁止している「おことば」も顕著に増えている。「平成の御代」などという言葉がごく〝普通に〟使われるありさまだ。 にもかかわらず、天皇・天皇制批判ははるかに減少したのである。それはなぜだろうか? しかも、今回の代替わりをめぐる言説、議論には、これまでの天皇論議にはみられなかった議論のねじれが起こったことも注目される。それは、天皇の退位表明以来、退位と代替わりに際して、これまで一貫して天皇・天皇制擁護を掲げてきた「右派」、「伝統派」が厳しい天皇批判、退位批判を展開し、逆に、昭和天皇の時代には天皇・天皇制に対して厳しく警戒的であった「リベラル」の側が「穏健保守」と合流して天皇・天皇制擁護の論陣をはったことである。 もっとも、天皇の言動に対する右派の批判は、なにも今回の退位表明以後に始まったわけではなく、「平成」の天皇になって以降、間歇的に噴出してきた。いわゆる「リベラル」派の天皇批判も「平成」の天皇への代替わり以降次第に少なくなってきてはいた。しかし、今回の退位、代替わりに際してみられるような右派の公然たる天皇批判、穏健保守派、「リベラル」派の「平成」礼賛の大合唱という、まことに薄気味の悪い事態は、今回初めてみられた事態であった。 では一体、こうした天皇・天皇制批判の衰退、さらに天皇論をめぐる議論のねじれはどうして起こったのであろうか。その秘密は、天皇明仁への代替わり以降三〇年に及ぶ政治と天皇の関係の推移の中に隠されていると考えられる。 そもそも、「平成」の天皇・天皇制とはなんであったのか? そこで本書では、改めて、冷戦後の日本政治をめぐる対抗と天皇の関係に焦点をあててこの三〇年をふり返り、一体、そこで何が起こったのかを探ってみたい。 実は天皇明仁の退位表明の前後から、平成の天皇をふり返る書物がかなりの数、登場している。しかし、これら天皇論のほとんど全ては、「旅」というような天皇の行動に焦点を絞り、政治は出てくるとしてもほんのわずか、それも天皇の真摯な思いに配慮しない、天皇の崇高な理念の妨害者としてのみ、ほんのエピソード程度にしか出てこない。しかし、これでは、平成の天皇・天皇制を理解することは不可能である。そこで本稿では、あえて、政治と天皇の関係に光をあてて歴史をふり返りたい。 その検討を踏まえたうえで、最後に、「平成」の天皇・天皇制がいかなる遺産を残したかを考えたい。この検討を通して天皇の憲法からの逸脱に歯止めをかけ、憲法の構想する天皇・天皇制に近づけていくには何が必要か、天皇制度のあるべき将来についても展望することが可能となる。 |