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978-4-87498-747-6 JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録 | ||
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【内容】 正義をかなえてほしい! 深い傷を負わされた中国人たちの思いを受け止め、司法の壁にたたかいを挑んだ日本の弁護士・市民の記録 |
【目次】 序 なぜ弁護士たちは立ち上がったのか 「侵略戦争はなかった」──永野法相発言 K記者とのやりとり 再度の訪中準備 北京の青年法学徒の提言 民間対日賠償請求に対する中国の対応について 中国人戦争被害者たちとの出逢いの衝撃 小野寺の決意 「中国戦争被害法律家調査団」の戦略方針 先行事件の弁護士からの助言 全国弁護団構想 全国支援組織構想と「支える会」 裁判に不可欠な市民の支援 各事件弁護団による訴訟提起と全国展開 今も続く全面解決への努力 I 平頂山事件 被害者たちの証言 ✴方素栄──弟が銃剣で刺されるのを目撃 ✴楊宝山──母の血が口に入ってきた> ✴莫徳勝──目を見開いたまま動かなくなった父 裁判の経過 ✴中国人戦争被害賠償請求事件弁護団の結成 ✴平頂山事件の幸存者・方素栄の不安と期待 ✴平頂山事件弁護団の結成 ✴緊張の初訪中──厳寒の撫順へ ✴ないことづくめで始まった裁判支援 ✴原告が来日できない!? ✴第一回口頭弁論 莫徳勝意見陳述 ✴莫の証言の反響 ✴各地の証言集会へ ✴本人尋問を前に撫順・昆明へ ✴楊宝山、方素栄の原告本人尋問と全国証言集会 ✴莫徳勝の本人尋問 ✴「国家無答責」の壁に挑む ✴一審判決は「国家無答責」で敗訴 ✴平頂山事件七〇周年記念大会と広がる支援組織 ✴控訴審・最高裁の闘い ✴莫徳勝再び ✴「除斥」の壁に挑む ✴方素栄が裁判を提起するまでの長い道のり ✴控訴審最終弁論 ✴またしても国家無答責で敗訴 ✴一〇年間の裁判が残したもの Ⅱ 南京虐殺・無差別爆撃・731部隊事件 被害者・加害者たちの証言 ✴南京虐殺事件 ✴李秀英──全身二九カ所を刺された一九歳の妊婦 ✴日本軍の無差別爆撃 ✴高熊飛──母子で片腕に、困窮を極めた戦後 ✴731部隊 ✴敬蘭芝──夫を731部隊に送られ、自身も激しい拷問を受けた ✴王亦兵──父は人体実験で殺された ✴中国での残虐行為を認罪した元憲兵・三尾豊裁判の経過 ✴731・南京虐殺・無差別事件弁護団の結成 ✴多岐にわたる訴訟活動 ✴731部隊に所属した元兵士・篠塚良雄の証言 ✴被害者・加害者の壁を越えて ✴東京地方裁判所の判決 ✴控訴審の争点 ✴東京高等裁判所判決 ✴最高裁の判決を受けて Ⅲ 遺棄毒ガス・砲弾被害事件 被害者たちの証言 ✴李 臣──毒ガス後遺症に苦しみ自殺未遂をくり返した ✴劉 敏──遺棄砲弾の爆発によって亡くなった父 ✴馮佳縁──一〇歳の時に狂わされた少女の人生 ✴白玉栄──娘の人生を返してほしい 遺棄毒ガス・砲弾訴訟 ✴遺棄砲弾被害者との出会い ✴遺棄毒ガス弾被害者との出会い ✴提訴準備──他の戦後補償裁判との違い ✴被害の実態をいかに伝えるか ✴戦後の不作為の立証 ✴二次訴訟判決とチチハル事件の発生 ✴一次訴訟で勝訴判決 ✴一審を覆した控訴審判決 チチハル事件訴訟 ✴衝撃的な「チチハル事件」 ✴新たな弁護団の結成 ✴現地調査、中国の弁護士たちとの協同作業、提訴 ✴深刻な被害の立証、医師たちとの連携 ✴明白な国の不作為責任 ✴取り上げられたカメラ ✴一審判決と控訴審 ✴最高裁判決と同時に誕生した平和基金──新たな政策形成をめざして ✴被害者たちと出会って敦化事件 ✴子どもが拾い上げた毒ガス弾 ✴現役官僚らの証人尋問 ✴最悪の判決と被害回復への取り組み NPO法人「日中未来平和基金」の誕生 ✴毒ガスの被害 ✴日中未来平和基金の活動 Ⅳ 中国人「慰安婦」訴訟 被害者・加害者の証言 ✴李秀梅──五カ月間監禁され強姦、母は自殺した ✴侯巧蓮──今も夢の中に日本兵が現れる ✴張粉香──PTSDに苦しむ母との日々 ✴劉面煥──命が尽きるまで闘う ✴近藤一──中国戦線でくり返した残虐行為 「慰安婦」問題の衝撃と中国人被害者 ✴一九九一年、「慰安婦」のカムアウト ✴知られざる中国人女性の性暴力被害 中国人被害者の調査 ✴日本は中国で何をしたか──家永教科書裁判 ✴初めての聞き取り ✴山西省の省都太原へ ✴謝罪と賠償への強烈な要求 ✴PTSDのフラッシュバック ✴中国最南端・海南島の「慰安婦」 ✴「慰安婦」の現地調達 ✴弁護団の結成 裁判の経過 ✴侯巧蓮の本人尋問と死 ✴忘れられない原告たち ✴地裁の敗訴判決と中国での反応 ✴高裁での新たな立証 ✴最高裁での和解への努力 ✴海南島事件の訴訟の経緯 中国人「慰安婦」訴訟が日本社会に残した意義 ✴裁判後の中国 ✴日本人の歴史認識への影響 ✴歴史学における「慰安婦」制度の解明に与えた影響 ✴弾圧から「遺留問題」へ──中国政府の変化 ✴裁判では認知されなかった「慰安婦」問題 ✴被害者の村での認識 ✴世界の動きに呼応して Ⅴ 強制連行・強制労働事件 被害者たちの証言 ✴宋君政──生のカボチャを食べたことがありますか? ✴檀蔭春──二個のマントウのために働き続けるしかなかった ✴安登山──中国人は袋の中の大豆以下なのか ✴蒼欣書──仲間の遺体を山で燃やしました ✴李樹明──「バカヤロウ」という日本語を今でも覚えています ✴劉宗根──胃の痛みをこらえるため、石をすりつぶして飲んでいました ✴李良傑──積み上げられた骨を見て、死にたくなりました ✴劉清江──死んでもあの世で裁判を続けます ✴劉連仁──一三年間、日本が負けたことを知りませんでした 中国での聞き取り調査 ✴聞き取り調査と言葉の壁 ✴中国の電圧 ✴被害者の村での調査 ✴北海道訴訟の初調査 ✴中国人記者とのやりとり ✴酒席での出会い 裁判の経過 ✴象徴としての劉連仁訴訟へ ✴日本各地での提訴と支援の広がり ✴北海道訴訟 ✴山形訴訟 ✴群馬訴訟 ✴長野訴訟 ✴福岡訴訟 ✴宮崎訴訟 輝かしい成果と発展 ✴劉連仁訴訟、新潟訴訟、福岡訴訟での勝利 ✴歴史的和解の成立 Ⅵ 裁判を支えた市民の活動 一教師の体験 裁判の盛り上がり 強制連行・強制労働事件 海南島慰安婦事件 平頂山事件 731部隊事件 南京虐殺事件 遺棄毒ガス事件 私たち日本国民の責務とは Ⅶ 壮大なオーラルヒストリー 毒ガス兵器問題との遭遇 大久野島へ 「島に行かなあよかった」 もう一つの現在進行形 防衛研究所に新資料 「毒ガスで青春は終わった」 提訴は一筋の光 事実の重み 戦後補償のモデル |
【おすすめ】 1931年の満州事変から45年の日本敗戦まで、日本軍はのべ百万に及ぶ兵士を中国大陸に送り込みました。日本軍は中国の人びとに対して、虐殺・人体実験・強姦・強制連行(強制労働)など残酷極まりない所業をくり返し、その犠牲者は数千万人と言われています。 また、戦後になっても、日本軍の遺棄した毒ガス兵器・砲弾による甚大な被害が発生しています。 日本の司法は一貫して、国家賠償法がなかった戦前の日本帝国の賠償責任を否定し、中国人原告らの訴えを退けてきました。 原告となった中国人の思いを受け止めた日本の弁護士たち、そして裁判活動を支えた市民のたたかいを記した本書は、日本が近隣諸国との真の和解をすすめていくための重要な指針となります。 |