本の特送便 梅書房 > > 情熱は磁石だ パラリンピックスキー20年の軌跡、そして未来へ
9784845115211 情熱は磁石だ パラリンピックスキー20年の軌跡、そして未来へ | ||
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【内容】 5大会連続でメダリストを輩出! 世界と戦い続ける男の熱き人間ドラマ。 |
【目次】 プロローグ 1 天職との出会い 長野パラリンピックのヘッドコーチに就任 ・パラリンピック=障がい者スポーツとの出会い ・大変だった初めての合宿 ・なかなか深まらないパラリンピックへの理解と認知度 ・スウェーデンでの世界選手権を視察 ・スウェーデンで感じた「やりがい」 まだ見ぬ選手たちを探して ・新田佳浩君との運命的な出会い ・ご家族に会って ・九六年五月の合宿から合流 ・長野パラリンピックへの陣容が決まる 長野パラリンピックに向けた環境づくりにも取り組む ・深川スポーツセンター所長に就任 ・パラリンピックの知名度をどう向上させるか ・長野パラリンピック前に海外の選手と戦いたい ・企業の応援の輪も広がる 選手たちはどうやって力を伸ばしたか ・「長所を伸ばす」トレーニングで自信と誇りを体得 ・大学スキー部の練習から学ぶ 長野パラリンピックでの勝利と世界の壁――残された課題 2 私の原点 北海道の大自然の中で育つ ・先祖は山形から渡道、永山に入植 ・永山中学校にスキー部が誕生 ・クロスカントリースキーの中学生大会に出場 ・「失敗を責めない」を学ぶ ・工業高校の土木科に進学 広い世界に飛び出す ・「情熱」という言葉に出会った大学時代 ・職場でクロスカントリースキーを再開 ・横山久雄さんとの出会い ・業務の前後に毎日トレーニング 3 これでは勝てない 長野パラリンピックからソルトレークパラリンピックへ ・ソルトレークパラリンピックでの誤算 ・世界に後れを取る日本の環境 ・ソルトレーク後の選手たち 実業団チームの創部へ ・日立システムアンドサービスとの出会い ・シンボリックなスポーツで社内に一体感を ・選手たちによるプレゼンテーション、そして創部へ ・「パラリンピック」をオリンピック並みの環境に! トップスポーツマネジメントを学ぶ ・平田竹男ゼミの門をたたく ・物事を建設的に解決していく方法論 ・選手引退後にも働ける環境づくりを ・日立ソリューションズにおける「トリプルミッション」 4 パラリンピックとどう向き合うのか 表彰台をめざして ・選手の成長に必要な意識づくり ・数字との闘い――日本独自の訓練システム構築へ ・センターポール作戦の立ち上げと貴重な助言 ・スタッフとともに勝つ ・勝つために――モチベーションをどう保つか ・何のために勝つのか 障がい者スポーツの将来的ビジョン――エリート化か、生涯スポーツか ・障がい者スポーツの位置づけ ・厳しい現実 ・社会に根付く障がい者スポーツをめざして 障がいを知ることの大切さ ・選手とのコミュニケーション ・選手の体を守る 5 未来のパラリンピックに向けて さまざまな課題をどう乗り越えるか ・コーチやスタッフをどう確保するか ・継続的に活動できる環境をどう整備するか ・どうやってメディアに協力してもらうか ・自分でプレスリリースを作る ・「情熱は磁石だ」が意味するもの |
【おすすめ】 最初は一人でも、情熱を傾けて頑張っていれば、必ずたくさんの人や知恵が集まってくる。 長野パラリンピック前からの20年間、パラリンピックをめざす実業団チームの監督として、そして日本代表監督として経験したこと考えてきたことを語る。 冬季パラリンピックへの理解が深まり、障がい者スポーツ全体への支援の輪が広がることを願って。 【本文より】 日本チームのトップランナーとして20年間走り続けている新田佳浩君は37歳になりましたが、2018年の韓国での平昌(ピョンチャン)パラリンピック冬季大会を見据えて、いまなお厳しいトレーニングを重ねています。バンクーバー大会ではおじいさんのために取った金メダルでしたが、ピョンチャンでは「自分自身のために金メダルを取る」と、強い決意を語っています。若い選手たちも新田君を目標に、メダルをめざして懸命にトレーニングに励んでいます。障がい者スポーツの未来を感じさせてくれる若い彼らのなかからも、将来、必ず金メダリストが誕生するでしょう。 次世代のジュニア選手たちにとって大切なことは「才能」だけではありません。「才能」があるのにメダリストになれなかった選手もいます。私は大切なことは努力だと思っています。ソチパラリンピック前のある日、私たちのチームが所属する日立ソリューションズの当時の副社長の諸島伸治さんから選手たちに伝えられた言葉があります。「私たちが感動したのは、あなた方が過去の大会でメダルを取ったからではなくて、あなた方が勝者になるために、どんなにきつい練習にも耐えて努力する、そんな姿に感動や勇気をもらっているんですよ」という言葉です。片腕の選手なら懸垂や腕立て伏せのやり方を工夫して鍛える、努力する心が必要です。ある時、新田君の小学校時代のことを、新田君のおばあちゃんが語ってくれました。「小学校のころ、チョウチョ結びができないって言うもんで、腰紐を使ってな、大きく振って、こうやってこうやってと教えたら、学校から帰って来て、『おばあちゃんできた、できた』って。麻ひもなんだけど、まだ緩んでいたけど、よくやったって褒めてな。あきらめないで頑張る、そんな子でした」というエピソードでした。私はその話を聞いて「工夫すること」「できたことを褒めて伸ばしてあげること」の大切さをあらためて教わった気がしました。選手を「育てる」ことにも通じるこの話は、いまでも大切にしています。 そして新田君を超える若い選手たちが育ち、今度は新田君や出来島さん、太田さんたちが私たちに代わって日本チームを牽引していく時代が来るでしょう。1996年のスウェーデンでのIPCスキー世界選手権大会では、長野パラリンピックまであと2年だというのに日本は選手を派遣することができずにいました。その時のノルウェーの監督は元パラリンピック選手で全盲の方でした。私は日本がとても遅れていることを知り、大きなカルチャーショックを受けたことを忘れられません。それから20年後の日本では、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まり、パラリンピックも社会に大きくアピールする時代を迎えていることは、当時の誰もが想像できなかったのではないでしょうか。障がいのあるジュニア選手たちが明日のパラリンピックを担うために切磋琢磨する姿は、長野パラリンピックに向けて世界と戦う夢を語りながら懸命に頑張っていたあのころを思い出させてくれるのです。 私自身についていえば、20年近くも国の代表チームの監督を続けることは海外にも例がないようで、国際大会や国際会議に出るたびに、各国の関係者からは驚かれたり、ねぎらわれたりします。そんな私の20年には、前例のないところからチームを立ち上げ、スタッフ・関係者の皆さんや選手たちと雪にまみれ、汗にまみれながら“世界で勝とう!”という夢を追いかけて、共に泣き、共に笑った一瞬一瞬の思いがぎっしり詰まっています。今回、北海道の大自然に育まれた生い立ちなども含めて、私のこれまでの人生の歩みやパラリンピックスキー競技にかける思いの一端を「情熱は磁石だ」と題して記させていただきましたが、これからもその情熱を絶やすことのない人生でありたいと、心から念じています。と同時に、本書に記した私の経験や思いを通じて、パラリンピックスキー競技、ひいては障がい者スポーツ全般への皆さんの関心・支援の輪がさらに広がることを願っています。 |