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本の特送便 梅書房 > 徐京植評論集Ⅰ 植民地主義の暴力「ことばの檻」から
9784874984413 徐京植評論集Ⅰ 植民地主義の暴力「ことばの檻」から
徐京植評論集Ⅰ 植民地主義の暴力「ことばの檻」から
¥3,240   在庫有り
徐京植/著
高文研
2010年4月
教養/ノンフィクション/オピニオン

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【内容】

在日の眼で「ことば」を通してえぐり出す、帝国主義国家群の「植民地支配責任」。
朝鮮・ユダヤ・パレスチナの民衆の声は、“宗主国的立場”に安住する人びとに届くのか――?
「韓国併合」から100年―
取り返しのつかない傷と歪みを残しながら、植民地主義はいまも継続し、増殖する。
在日朝鮮人の視点から「ことば」と「記憶」を論じつつ、きびしく問いかける「植民地支配責任」。その声は、“宗主国国民”に届くのか?
小松川事件、朴裕河、尹東柱、プリーモ・レーヴィ、ジャン・アメリー、パウル・ツェラーンなどを読み解きながら反植民地闘争を考える評論集。


【目次】

Ⅰ 植民地主義の暴力 ある在日朝鮮人の肖像  怪物の影  
   ──「小松川事件」と表象の暴力
植民地主義の図像
植民地主義の寓話
事件報道
あからさまな差別
強制送還のおどし
田中せつ子事件
小松川事件
帰国運動
「同じ朝鮮人」
 和解という名の暴力──朴裕河『和解のために』批判
「国民主義」とは何か
植民地責任論
「道義的責任」というレトリック
「記憶のエスカレーション」
和解のために?
「和解という名の暴力」──その流通と消費
一枚の絵から何が読み取れるか

Ⅱ ことばの檻  断絶の世紀の言語経験
   ──レーヴィ、アメリー、そしてツェラーン
ツェラーンとの出会い
ツェラーンと国語イデオロギー
証人・人間・イタリア人──プリーモ・レーヴィの場合
母語からの追放──ジャン・アメリーの場合
言葉だけを母国として──パウル・ツェラーンの場合
 母語という暴力──尹東柱を手がかりに考える
民族詩人
「序詩」の翻訳をめぐって──大村益夫の批判
伊吹郷の反論
翻訳をめぐる植民地的権力関係
在日朝鮮人が尹東柱を読むこと
ディアスポラ詩人・尹東柱と母語
母語という暴力
  ソウルで『由熙』を読む──李良枝とのニアミス
ニアミスの歴史
強いられた二分法
出会いの挫折
人物造形の失敗
観念性の呪縛
  母語と母国語の相克──在日朝鮮人の言語経験
国語ナショナリズム
「断絶の世紀」の言語経験
朝鮮語と日本語
在日朝鮮人の母国語(朝鮮語)経験
克服の道は?
母語の権利と母国語の権利
あるユートピア

Ⅲ 記憶の闘い  「太陽の男たち」が問いかける、「私たち」とは誰か?
私たちにとっての「中東」とは
「太陽の男たち」
私とは誰か?
ふたたび問う、「私たち」とは誰か?
  記憶の闘い──東京とソウルで読むプリーモ・レーヴィ
二つの映画
マイノリティとしての共感
生還し証言する
証言の不可能性
プリーモ・レーヴィへの旅
記憶の闘い──日本の文脈
ソウルにて
 道徳性をめぐる闘争──ホー・チミンと「革命的単純さ」
パリ
ダイハンへの眼差し
山水画的簡潔さ
普遍主義の母国フランスで
清貧さ──闘いとしての

 あとがき