現在のカートの中
合計:
カートの中身を見る
商品検索

安い順 高い順
会員専用
メールアドレス

パスワード

クッキーに保存
パスワードを忘れた方はこちら
本の特送便 梅書房 > 「戦場体験」を受け継ぐということ
9784874985496 「戦場体験」を受け継ぐということ
「戦場体験」を受け継ぐということ
¥2,376   在庫有り
遠藤美幸/著
高文研
2014年11月
人文/日本史/戦争史

個数

お問合せ・ご注文 口コミを見る(0)
【内容】

日本軍1300人 VS.中国軍4万人。

1944年6~9月、米英軍による蒋介石軍支援の「援蒋ルート」遮断をめぐって、日本軍と中国軍が激突した中国ビルマ国境の要衝「拉孟」。日本軍守備隊全滅の真相を、戦後世代の研究者が10年の歳月をかけて明らかにした執念の記録!

【目次】

序章 「拉孟」研究と出会うまで
1 拉孟戦の聞き取りと人脈図
2 ビルマルートと拉孟
3 拉孟全滅戦とは何だったのか
4 拉孟全滅戦を生き延びた人たち
終章 終わらない戦争

【おすすめ】

「ビルマルート」を遮断するため、1942年5月、日本軍は中国雲南省西部の軍事拠点・拉孟(らもう)に陣地を築き、1300人の守備隊を配備した。しかし100日にわたる死闘の末、拉孟守備隊は全滅した。その拉孟全滅戦の実相が、奇跡的に生き残った将兵の証言により明らかにされる。

1941年12月8日のハワイ真珠湾とマレー半島への奇襲攻撃から半年たらずで、日本軍はマレー半島を席巻してシンガポールを、次いでスマトラ、ジャワ島、あわせてフィリピンを占領、翌42年5月にはビルマ(現ミャンマー)全土を制覇した。

 一方で、蒋介石の率いる中国国民政府は、日本軍により首都・南京を追われ、奥地の重慶に本拠を移した。その国民政府を支援するため、米英両国は「援蒋(えんしょう)ルート」を通じて軍需物資を送った。その最大のルートが、ビルマのラングーン(現ヤンゴン)から北上して中部マンダレー、ラシオを通り、中国国境を越えて雲南省に入り、昆こんめい明に至る「ビルマルート」であった。

 その「ビルマルート」を遮断するため、四二年5月、日本軍は中国雲南省西部の軍事拠点・拉孟(らもう)に陣地を築き、1300人の守備隊を配備した。しかしほどなく太平洋戦線での米軍の反攻が開始され、日本軍は後退を余儀なくされる。
 そうしたなか、44年6月、米中連合軍は新たな「ビルマルート」の奪回作戦を開始、中国軍4万人が拉孟陣地を包囲する。100日にわたる死闘の末、9月7日、拉孟守備隊は全滅した。その拉孟全滅戦の実相が、奇跡的に生き残った将兵の証言により、ここに初めて明らかにされる。

 本書は、その将兵と“奇縁”によって結ばれた戦後世代の研究者による記録である。