本の特送便 梅書房 > > 蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか
9784879843579 蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか | ||
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【内容】 やむをえない事情から3万冊超の蔵書を手放した著者。自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分を契機に、「蔵書とは何か」という命題に改めて取り組んだ。近代日本の出版史・読書文化を振り返りながら、「蔵書」の意義と可能性、その限界を探る。 |
【目次】 序 章 〈永訣の朝〉 第Ⅰ章 文化的変容と個人蔵書の受難 第Ⅱ章 日本人の蔵書志向 第Ⅲ章 蔵書を守った人々 第Ⅳ章 蔵書維持の困難性 参考文献 あとがき 著者年譜 |
【おすすめ】 「すると、蔵書一代、ですね」 「うん? 蔵書一代? そうだ、本当にその通りだ。愛書家の息子に愛書家なしだ」 「書肆・蔵書一代、というのが当店の名です。よろしく」 「ほう。あんたは面白い人だ」 「面白いといえば、こんな詩がありますよ。 蔵書一代 人また一代 かくてみな共に死すべし」 「はっはっは、これはいい」と、老人は初めてうちとけたようだった。「これはいい、共に死すべしか、はっはっは」 (紀田順一郎著『古本屋探偵の事件簿』より) 「わが亡きあとは売りてよね(米)買え」と蔵書印に彫った江戸時代の蔵書家は、蔵書の一代性を知っていた。彼らには自分の個性が分割されえぬ一回性のものだという誇りがあり、それを体現した蔵書が自分の死とともに破壊されるべきことが確認されていた…… しかし、蔵書一代は感傷ではなく、一つの諦観、悟りである。つまり、所蔵者の死後、一冊一冊の書物が別の蔵書体系の中に再生するのを拒むものではないのだ。むしろそれこそは、蔵書といういじましい行為における唯一の救いなのではあるまいか。 (紀田順一郎著『読書の整理学』より) |